小鳥遊文庫

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『ある男』(平野啓一郎著、文學界6月号掲載)感想

 はいどーも、文學界の6月号が発売されたのは五月だったので、読んでから結構な時間が経ってしまいましたが、単行本が来月に発売されるということで、このタイミングで書評、とまで呼べるほどの代物ではないですが、感想的なことを書いていきたいと思う所存の小鳥遊よだかです。

 

謎解き要素もある作品なので、一応ネタバレ注意です。

 

ある男

ある男

 

 

 

 平野氏の作品はだいたい読んできたのですが、最近のものは序文がついていろいろとほのめかすようなスタイルが定着しつつありますね。

 

イントロダクションとしては、

 ある日、弁護士である本作の主人公城戸のもとに、以前も離婚調停の仕事を引き受けたことのある里枝から再び仕事の依頼の連絡があった。離婚成立後、再婚を果たした里枝だったが、幸せな生活もつかの間、その再婚相手の男性を不慮の事故で失ってしまった。立て続けの不幸に見舞われ、悲嘆に暮れる彼女だったが、そこで新たな問題が発覚する。「谷口大祐」と名乗っていた、その再婚相手は、まったくの別人で、何者かが「谷口大祐」という人物になりすましていたという。

 こんな感じでしょうか。

 

 そこから、物語はその何者か(〝X〟と呼ばれる)が一体何者なのか、という謎を追うかたちで進行していきます。その過程で、城戸は気づけば、〝X〟のことを考えているようになっていて、ひいては自分の人生についても考えさせられるようになります。『――愛にとって、過去とは何だろうか?……』と。

 

 

 でその後、どうやら〝X〟は戸籍の交換という闇取引を行い、「谷口大祐」という別人の人生の続きを生きていたことが判明します。

 〝X〟には、別人として生きていきたいと思うほどの理由があったわけですが、それは戸籍交換に応じる相手も同じことで、人間誰しも、そういうものを背負っていたり、自分ではない何者かへの変身願望があったりするわけです。

 

 戸籍の交換では外見は変えることはできませんが、ステータスや名前といった社会的な情報なら別人になることができます。

 最近では、VR技術の発達により、バーチャル空間では外見を自分好みのキャラデザに変えて、そのキャラを演じて他者と接することができるようになりました。(いろいろ機材が必要なようですが)

 今後AR技術が発達し、現実世界を各々の好みのデザインに変えて生きることのできる世の中になるかもしれません。

 

 しかし、どんなに自分ではない者の人生を生きようとしても、自分は自分である(別人にはなれない)という意識だけは変えられないように思います。

 

 この作品ではそういった本人の意識ではなく、彼が本当は何者だったのか、と真相を追う人側の心理が重点的に描かれます。

 ある人物を理解するのに、ふとした時に知ってしまったその人の過去の真実が、多少なりとも影響してしまいがちなのはどうしてなのか。過去にどんなことがあろうと、出会ってからの、いいも悪いも含めた思い出だけでその人を理解するのは実はむずかしい。第三者の目線を気にしてしまうのか、自分でも知らず知らずのうちに社会的な価値判断基準を用いてしまうのか、とにかく自分の意思に逆らってまで、その人の印象に暗い影を落とすこともある。

 そんなことを思いました。

 

 真相を知った里枝は最後、『一体、愛に過去は必要なのだろうか?』と自問します。

 答えはでませんが、ただ事実として、〝X〟と過ごした時間は幸せだったと彼女は自覚します。