小鳥遊文庫

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『ギケイキ』(町田康著)読んだら、むっさおもろかった

 

ギケイキ:千年の流転

ギケイキ:千年の流転

 

 かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう。

 という文章から始まる本書は、源義経の生涯を描いた軍記物語『義経記』を基とした、超娯楽大作とされています。かの有名な牛若丸こと義経の話なのに、最初の一文でアメリカのレスラーの名前が出てくるなど、開幕早々ぶっ飛んでいる。

 

 

 初出は文芸誌の『文藝』で(現在も連載は続いてる)、全四巻予定の第一巻目ということで、ここでは平家打倒を志す義経が全国各地を渡り歩き、弁慶との出会いを経て、兄頼朝に会う直前までが書かれています。

義経記』に忠実な物語構成ですが、まさに千年の流転を経て、現代においてなお漂うという義経の魂の一人称視点で物語られ、その義経は歴史のすべて(生きていた当時から現代のことまで)を知っているていでいます。ていうか知りすぎている。

 例えば、弁慶が書写山を滅ぼす運動を起こすシーン。呟き作戦といい、「恰も呟きのごとき短い(それでいて、大衆の好奇心や道徳心を刺激するようなスキャンダラスな)文章を紙に書き、これを町や村の至るところに貼って歩く」というまさにツイッターを想起させる表現で書かれています。(当然、それらの書き込みは、人々の間で口コミとしてリツイートされまくり、悪い噂として膾炙される)

 そのツイートの内容に声を出して笑いましたが、今も昔も人間のやってることって、本質的には変わらないのかもなあ、とも思いました。(もちろんここは町田氏の創作の部分でしょうが)

  

 あの頃、私たちに「日常」なんてなかったのだ。暴力。そして謀略。これをバランスよく用いなければ政治的に殺された。だからみんな死んだんだよ。私も死んだんだよ。 

 そんな動乱の時代を生き、最期には兄頼朝と対立して殺されてしまう義経に言わせれば、現代とは「いろんなマイルドなもので偽装されてよくわかんなくなってるけど私から見ればそれはいまも変わらない。っていうか、偽装されてわかんない分、いまの方がやばいかも知れない」らしい。確かに。

 

 私たち人間は誰もが、見栄や世間体を気にして、内心のネガティブな思いを悟られないように演技している、なんてなことも多いと思います。相手の隠してる本心がわかっていながら、その演技してる様を見れば滑稽というほかないのだけど、超能力でも使わない限り人の内面の動きというものを正確に読むのは難しい。どうしても憶測の域を出ない。というか当人でさえも、自身の内面を正確に自覚するのは難しい。

 それは義経のころからも変わらなく、というか当然で、自分でもコントロールできない内面の感情に振り回され、人々がそれぞれに動き回るからこそ、そこに人間ドラマが生まれる。

 教科書の記述ではさらっと1ページくらいで記されているようなことにも、いろんな人物の思惑が錯綜と絡み合い、いろんなことが起きてきたんだ、ということを改めて思い知らされました。

 

 第二巻の発売が待ち遠しい。