小鳥遊文庫

アニメとか読書とか

Fate/Apocryphaの17・18話が素晴らしかった。

 早いことで年が明けてもう二週間も経ち、新しく始まったアニメも2話目が放送されているという頃でしょうか。

 

 そんななかで、今回私が語りたいと思ったのが、去年の夏から秋にかけて放映されたアニメのFate/Apocrypha(しかも17話と18話について)なんですが、まあいつ見てもおもしろい名作だと思うので、大丈夫でしょう。

 

fate-apocrypha.com 

 

 そもそも私は、Fateシリーズはだいぶ昔にFate/Zeroを見たくらいで細かい設定とかはわからなくって、Apocryphaも夏にアニメが始まった時点では、今回はやたら登場人物多いなあ、などとぼんやり思いながら視聴していました。

 それが気づいたら、毎週楽しみにして画面を食い入るようにしながら視聴しているようになっていました。一時代前のテレビっ子みたく。なにより、視聴者をその複雑な世界観に引き込む物語運びのうまさには脱帽します。

 

 

 物語全体は赤と黒の陣営が戦う第一部、そして黒の陣営が半ば崩壊した後の第二部に分けられます。

 一部の最後ではついに、序盤からなんとなく胡散臭かった赤の陣営のマスター、シロウの正体が明かされます。そう、誰もが知ってるあの人物だったのです。

 二部は黒側陣営から奪った聖杯にかけるシロウのある企みを、本来中立な立場のルーラーとして召喚されていたジャンヌが黒の陣営の残党などと協力し、阻止するために立ち上がるという流れ。クライマックスの戦闘シーンなどは圧巻の一言です。

 

 さて、そんななかでも私は特に17話、18話が気に入ってます。

 

 シロウの野望を阻止すべく、ジャンヌ達が結束した矢先、第一部でもちょいちょい登場していた黒のアサシン、ジャック・ザ・リッパーが不穏な動きを見せ始めます。どうやら、黒のアサシンは手違いで、本来のマスターとは別の人がマスターとして召喚されてしまったようで、街の魔術師を襲うなどして黒の陣営の手を焼かせていました。事態を重く見た、黒の陣営当主のフィオレは、アサシン討伐に臨み弟のカウレスらを派遣します。が、時を同じくして、ジャックは黒陣営の本拠地であるミレニア城にまで襲撃しに来ていて、フィオレは危機一髪の状態まで追い込まれました。

 ここまでが16話。アストルフォくんの次回予告でもあったように、ジャックがフィオレを追い込む様は、さながらホラー映画でした。見かけがあんなにかわいい女の子だからこそのギャップも効いています。個人的に霧のなかから刃で襲い掛かって来る時の無邪気な笑い声が、すごくいいと思います。

 

 さて、ようやく本題の17・18話です。

 17話はそんな緊迫した状態のなか、のどかな風景から始まります。

 ジャンヌと本作の主人公、ジークがなにやら今からデートを始めるかのような雰囲気……。どうやらこれは囮作戦のようで、無防備を装って街に出て、ジャックをおびき寄せたところを討伐するという感じです。ジャックが現れるまでの日中、二人はずっとお土産屋を見たり、カフェに寄ったりとデートとしか言いようのないことをして過ごします。

 そうやって街の人々と触れ合うなかで、ホムンクルス(人造人間みたいなもの)として生まれたジークの以下のモノローグが印象的です。

人間は1人ではなく集まって日常を営もうとする。ケイローンが言うには人間が集落を作る理由は脆弱さと寂しさ、そして喜びのためだそうだ。どうして寂しさと喜びが集まる理由になるのだろう。

(略)

 俺は人間を理解したいと思う。俺に命を与えてくれた英雄のためにも。その善性を理解したい。

  英霊でも魔術師でもない、ホムンクルスだからこその人類への客観的な視点です。

 

 その後会話のなかでジャンヌは、仲間を襲ったアサシンを悪者として考えるジークを

相手を完全な悪性と定め弾劾することは人の手に余ります。」と諫めます。

 最期、火刑に処せられたことについても、「後悔はしていません。ですがこうも思うのです。私はあの瞬間善を捨てた。誰かにとっての悪であることを受け入れたのだと。」と語っています。曰く、「私は信じているのです。人には確かに善があるということを。

 

 場面変わって、赤の陣営の本拠地、女帝さんの空飛ぶお城の上。シロウと赤のライダーの間で問答が開かれます。

 ここでライダーに同胞を殺した者への憎悪はないのか、と訊かれシロウはこう答えています。

かつて憎んだことはあります。神も人も全てを憎んだことがね。殺されたからではない。歴史の構造として受け入れる人類が憎かった。弱者を消費して強者が前に進むというシステムが憎かった。

 そして、その憎しみはどこにやったのだ、と訊かれると、

人類救済のために殺した者への憎悪を捨てた。私はこの世界の誰であろうと救う!」と声を荒らげ、「必ず、必ずだ。」と珍しく熱い感情を見せます。

 

 ジャンヌとシロウ。かつて同じような結末で生涯を終えることになってしまった二人。

 目指すところも同じはずなのに、人間に対する信頼、という点で道を分かれてしまっているように思えます。

 ここで語られた「歴史の構造」や「システム」といった言葉がキーワードのように感じます。

 

 そして場面が戻り、日が沈んだ街に霧が立ち込め始めます。

 ついにジャックちゃん来ました。街中を毒性のある霧で包み、ジークとジャンヌを分断し、襲い掛かります。

 しかし、ジャンヌをしとめることはできず、逆に黒のアーチャーに足を撃たれ、お母さん(マスター)の元へ撤退します。

 そしてお母さんにおんぶしてもらい、その場を離れようとするも、偵察に来ていた赤のアーチャー、アタランテにお母さんを撃たれてしまいます。その時のシーンがもう本当に感涙もので、一人は嫌なの!と悲痛に叫ぶジャックちゃんを直視できません。

 お母さんはそんなジャックちゃんの頬に優しく手をやり「2つの令呪を重ねて命じます。私がいなくてもあなたは大丈夫。……」と言いますが、その直後に背後に迫っていたアタランテに背中を撃たれ、ジャックちゃんもあっけなく倒れてしまいます。あんな美しい場面の最中にも関わらず、容赦なく矢を放ってくるアタランテさん、マジパネェ! でも、なんだか様子がヘンです。

 しとめたはずのジャックちゃんが起き上がり、首を90°回転させ、「どうして、……」とつぶやき、ジャックちゃんの体が霧散し、街並みがガラッと変わり、19世紀当時の悲惨なロンドンになります。ここまでが17話。

 

 

 18話は、霧の結界に取り込まれてしまったアタランテの悪夢から始まります。

 どうしてお母さんを殺したの?と子供の亡霊に囲まれ、落ち行くアタランテ。はっと目覚めた光の先に、彼女の過去が垣間見えます。

 生まれてすぐに父に捨てられた自身の経験から、彼女が聖杯にたくす願いはすべての子供たちが愛される世界をつくりたいとのこと。

 そんな理想を全否定するように、再びあたりが闇に包まれ、子供たちの亡霊に囲まれてしまいます。

 

 場面が変わって、ジーク視点になります。この人たちも漏れなくロンドンの幻影に取り込まれていました。そこでジークは目の前で、助けようとした少女が馬車で轢き殺されるのを目撃します。あぁ……、と絶望したのも束の間、子供たちが逆さになって空から次々降ってくる幻影を見せられます。そこに、さらに幼い見かけになった子供ジャックちゃんが現れ、

「綺麗は汚い。汚いは綺麗。ここでは子どもはただの餌食に過ぎない。生まれた子どもも生まれなかった子どもも皆テムズ川に流してしまう。……」

 と追い打ちをかけます。

 17話で、人々の触れ合いを見て、その善性を理解したいと語っていた矢先に、人間の悪意を煮詰めたような、世界の真実を突きつけられます。

 ベンチで俯いていたところ、倒されたはずのアサシンのマスター、お母さんこと、六導玲霞が現れます。

 10人が世界を構築すれば2人がその世界から弾かれる。2人を生贄にすることで8人が幸福を享受する。

(略)

 高度に構築されたシステムには誰も抗えない。救えるとしたら奇跡だけ。

 すべてを悟りきった様子で、そんなことを言われると、人の善性もクソもありゃしねぇ!となりますね。

    この玲霞さんは、OPでも諦観のただよう冷めた目が大写しになったりと、その心の内に膨大な虚無が広がるのを思わせます。そういえば、17話のサブタイは「トロイメライ」で、私たちは夢を見ているのかもね、ずっとずっと覚めないでほしい、とジャックちゃんに優しく語りかけていましたね。悲しい。

 そしてここでも「システム」という言葉が使われています。人間が集まって社会を形成すれば、助け合うこともあるでしょうが、どうしてもこういう弱者を切り捨てることによってその社会を持続させるシステム、みたいなものが生まれてしまうことはあると思います。そしてそのシステムには、弱者が寄り集まっても、変えることはできないという……。

    さらに、ここはFate/Zeroの主人公、衛宮切嗣の「多数を救う為に少数を切り捨てる」という信条にも呼応し、まさにその信条によって切り捨てられた側である弱者の絶望が描かれているのだとも私は思いました。


 霧が濃くなり、ジークはそういうシステムによって生み出された、もしくは生まれることすらできなかった小さな命たちの幻影に囲まれてしまいます。

 黒のアサシンは真名こそ、ジャック・ザ・リッパーですが、その正体は当時のロンドンで虐げられていた子供たちの怨霊であることが示唆されます。

 

 場面は変わり、ジャンヌ視点に。恐ろしい悪夢を見せられながらも、唯一毅然とした態度でジャックを追い込みます。さすが聖女様! ジャックの正体が犠牲者であると知っていながらも、彼女らを救うことはできないので、滅ぼすことを選択します。

 

 そこへ冒頭で闇堕ちしたアタランテが現れ、ジャンヌの阻止をしようとします。

 そこにジークも合流し、アタランテとジャンヌの問答に立ち合います。

 

「貴様こそ何をやろうとしている……! 子どもだ、子どもなんだぞ? この子たちは悪ですらない犠牲者だ。」

 彼女たちを滅ぼすことに迷いはない、と言うジャンヌに対し、

「ならば貴様は聖女などではない!」とアタランテが吐き捨てますが、

「その通りです。私は自分を聖女とは思いません。」と言い放ち、逆にアタランテを動揺させます。

 この場面の、ジャンヌ自身でも自分の行いが100%の善とは信じていなく、内面では口を噛みしめるほどのものすごい葛藤があるけれども、それでも、前に進まなければならないという意志の描写が素晴らしい!!

 

 そして完全に論破され、頭を抱えるアタランテに構わず、次々に子供たちの亡霊を成仏させます。子供たちもそれを受け入れているようなのが悲しい。ジャックちゃんも死にたくないな……とつぶやきながら、光に包まれていきます。

 成仏する間際のジャックちゃんに「あなたも可愛そうだね。……」とほほ笑まれた時のジャンヌの表情もナイス。あれだけの意志を持ちながらも、やっぱり最後まで迷いは捨て切れないという……。

 

 ここで生まれたアタランテとジャンヌの確執が、クライマックスのすさまじい戦闘シーンへとつながるわけです。相容れない考え方をするもの同士の、不倶戴天の確執と言えます。

 

 そして結界が消え、ようやく援軍の黒のサーヴァントが到着、あらぶるアタランテを撃退します。

 ジャンヌは倒れていたジークに駆け寄ります。

 ジークは、先ほど見た地獄について、

「ルーラー! あれが人間なのか!? 魔術師ではないただの人間たちが……あんな簡単に地獄を作り出せるのか!?」

 と問い詰めます。ジャンヌはそれに対し、

「あなたが見たものを私もかつて見ました。どうしようもない非道を、あらゆる言い訳でやってのける残酷さ……。それは確かに人間の中に存在します。」

 かつて火炙りの刑に科せられた場面を思い出しながら語ります。そしてさらに、

「私も例外ではありません。火刑に処されなければ私は主のために戦い人を殺め続けたでしょう。ジーク君それでも人間を見限らないでください……。そういうものだなどと諦めないでください。人に冷めることは簡単で、人を憎むことはもっと簡単で……。人を愛し続けるのは難しいことだから。」

 自分自身のなかにも、自分を火刑に処した人々と同じく、悪が存在することを認めています。100%自分を善とは信じきれないゆえに「迷い」が生じてしまいますが、自分のなかの「悪」を認めることはとても強い精神力だと思います。

「正義と悪は立ち位置が複雑でいくらでも切り替わるものです。私は彼女(アタランテ)にとって明確な悪でしょう。」

 自分も含めた「人間」について、その悪も正義もこれほどまでに知っていながらも、彼らのなかに確かにある「善」の部分を信じようとする生きざまは、まさに聖女としか言いようがありません。

 

 夜明けとともに、街に人々が現れ始め、新しい一日がスタートします。

 最後は、ジークのモノローグで終わります。

 自分はこれから幾度となくあの光景を思い出すのだろう。

 世界は美しいとついさっきまで俺は信じていた。

 だがあの地獄はいつも自分の中にある。

 俺はいつかその答えを見つけなければならないだろう。どれくらい時がかかろうと。

  

 と長々と引用を含め、書き散らしましたがとにかく、17・18話には、シロウと対峙するジャンヌの覚悟、クライマックスの戦闘シーンによりのめり込ませる登場人物たちの確執、ジャックちゃんのかわいさ、ホムンクルスとしてのジークの客観的視点で見る人類観等、複雑なテーマをよくこの二話に収めたと思う程見事にまとまっている神回だと思いますのです。